中堅ゼネコンからIT企業へ

(1988年03月~1988年6月)
大学は建築学部だったので、就職は東証2部の中堅ゼネコンに就職内定した。
採用面接も福岡市でやったので、まだ東京に行ったこともないまま東京の会社に就職内定となった。
コンピュータは?どうする。
時代は徐々にCADを使うようになっているので、後々はそちらの方面をやりたいなと思っていた。
1988年4月が入社だが、3月くらいに研修と称して内定者が東京に集められて現場を経験する。
その時代は、研修と言いながら労働者を確保する常とう手段である。
建築の現場は、意外と肉体労働です。
鉄筋工のお兄ちゃんが「監督さん、そんな現場監督するよりこっちの方が儲かるよ」と鉄筋を曲げながら大きな声でしゃべっていた。
時代はバブル到来、いや本当に儲かっていたと思うよ、かなり体力使うけどね。
しばらくは、毎日、プレハブの飯場(はんば)で身支度して現場へ。
壁や屋根を作っている途中のマンションは、結構危険です。
安全なものは今から作るので、そりゃ危険です。
そんな危険な現場も3日くらいすると麻痺してきて高所にいても「なんか大丈夫」な感じがするってこれが一番まずい。
そんな、社員寮と現場を行き来する2週間の研修を終えて4月1日に入社式からの
建設業協会の集まりみたいな講演会に元巨人の堀内恒夫さんが何か話していたのをおぼえている。
数日して配属が神奈川の湘南に決まった。と前後して退職の意向を会社に伝えた(早いなぁ)。
コンピュータをやろうというかやりたい。そこは揺るがなかった。
でもとりあえず現場の仕事はしないといけないので千葉の浦安の社員寮から湘南に通った。
片道2時間くらい掛かったと思う(記憶がほぼない)。
東西線からの東急からの江ノ電みたいなコースだったと思う(10日以上は通ったのよね~)。
ゴールデンウィークが過ぎたら身支度して引越し業者手配して転出届してって記憶ないけど多分自分でやっている。
インターネットも携帯もないから全部、社員寮の公衆電話からやったはず。
(数年経ってテレビ番組で「今の若い者は直ぐに会社を辞める」とかなんとか、ハイ私はその先駆者の一人でした)
5月11日に福岡に戻ってから当時ぼちぼち出版が始まった転職雑誌のリクルート社のBeingみていた。
求人を出している会社が五十音順に掲載されていてザーッと眺めて
ソフトウェア開発で給与のいい会社を五十音順に応募してみることにした。
5月12日に1件目の希望会社のビルを見物にそれから5月17日に履歴書を郵送。
5月20日に連絡あり、5月25日AM10:00~入社試験(適性検査、一般教養、性格検査、面接)をこなした。
午前中は、4人いたのに、午後は2人に...
翌5月26日に早速連絡あり、5月27日AM10:30~役員面接とのこと(早いなぁ~)。
翌週の6月1日に採用意向とのこと6月8日に採用通知が送ってこられて6月16日に初出勤。
転職活動1社目にして転職活動終わり。
ここからプロのプログラマー生活が始まることに。
事務所は、壁も天井もあるし空調もきいてて快適。
短かったけど野外での現場監督の経験があるのでエアコンのきいたオフィスビルで作業できていることにはいつも感謝しています。