大学の研究室

(1986~1987年頃)建築学部だったので建築にコンピュータを利用するといった研究室に所属した。
研究室には、ミニコン(日立造船からのリース)があり、ペンタブレット(デジタイザ)で図面が(少し)描けるコンピュータがあった。
それを活用して手書きではなくコンピュータを利用した設計図面描きを行った。
研究室には、憧れのPC9801がありプログラミングの沼に入っていった。
(ちなみに言語は、BASICだけどね)
実践的なところでは、書籍で高層階の建物が建物の周囲に影を作るが、それが法律上、他の敷地を長時間の影の状態にしてはいけないなどがある。
建物の3Dデータを作成して、太陽の軌道のデータを用意して、建物の陰影を時間単位に計算してグラフィックに表示する。
印刷は...
電算室にあるペンプロッタで出力(せいぜいこのくらいよ...できることは)
(ペンプロッタは自由に使えたので、Fortran幾何学模様やら計算式で描画できるものを良く出力した。描かれる様子を数学講師と一緒に眺めていた(線や曲線を1本づつ描くからね))
友人の坂根が、総務部で学生のデータをパソコンに入力しているというので総務部に遊びにいくと、IBMのパソコンにパチパチ入力していた。
「これは、どうやってデータを保存しているの?」と尋ねると「dBaseⅡ」というアシュトンテイトのアプリを使っているとのこと、ここで人生で初めてデータベースを身近に感じた。
そんなことをやっていると時代の流れからか、電算の学部が新設されるとのこと。
新棟が建設されて本格的に電算施設が用意された。
20代くらいの男性と女性の講師もやってきて何か自分のコンピュータ界隈がにぎやかになってきた。
さらに、新たに市内にファジー理論で有名な山川烈さんが所属する学部が新設されるというので、研修室の皆で会いに行きました。
テレビ放送では、NHK坂村健さんのTRONを解説する番組が毎週(だったかな)放送されていた。
1980年代後半は、自分と世間のコンピュータ界隈がにぎやかになってきていることを実感できる時代だった。

一般財団法人ファジィシステム研究所

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