総天然色(ショック)到来

(1985年10月より後)PC8001mk2SRでプログラミングを行ってカセットテープに保存したり読み出したりするのが、だんだんツラくなってきたのでフロッピーディスクが欲しくなってきた。
プログラムのコード量も段々増えてきたので管理も面倒くさくなってきたので...
富士通から4096色同時発色できるFM77AVが発売されたので、それに飛びついた。
その当時、私の中では、富士通というとFM-7タモリを使った広告が多くあり、ビジネス向けという感じていた。若者向けとは感じていなかったので少し抵抗があった。
NECやシャープや日立といった家電を主体とした会社じゃなくFACOMといった汎用機がすぐにイメージされるので、そこも近寄りがたいものがあった(後に仕事をしだしてから富士通さんとは深いつながりになるのだが、この時はそんな未来は想像できなったネ)。
なぜ、FM77AVに飛びついたのか?
4096色同時発色とFM音源は、さわってみたい世界だった。
孫正義さんのソフトバンから出版されていた雑誌 Oh FM にプログラムが多く掲載されていたのも魅力的だった。
特に1986年4月号のレイトレーシングのプログラムは、建物のデータ(オブジェクトをいくつか結合させた程度の造形)を作ってモニタに表示させて写真(カラーフィルムだぁ1986年だからね)に撮って後日現像して大学の研究室の壁に貼ってニヤニヤしていた(まぁまぁ出来が良かったので)。
すると隣の研究室の学部長が、「これどうやって作ったの?」聞いてきたので「パソコンで描いたんですよ」というと「へぇ、すごいね」とかやり取りしたのを覚えている。
レイトレーシングのプログラムは、マシン語(言語ちゅーか16進数の塊やね)が数ページ掲載されていてそれを間違えないように打ち込んでいったのを覚えている。
プログラムを実行するとモニタの上部から1ラインづつ描画される。1ラインづつが体感(描かれる様子)できるは、FM77が必死こいて計算してもそのぐらいのスピードしかでないからである。
画面全体すべてが表示されるのは、翌日である(24時間は超える)。
1986年だからカラープリンターはない(ドットインパクトプリンタしかないよ)ので、前述のアナログカメラに撮るしかないのだ。
そして、写真を撮ったらパソコンの電源OFF。再度、表示させたい場合は1日以上お待ちください(1画面分のRGBデータを保存する手段もなかったので...)。
あと、FM音源でなんちゃってシンセみたいなことができたので、ティアーズフォーフィアーズの「Everybody Wants to Rule the World」を打ち込んで音楽の世界にも少し触れた。
パソコンを活用する機会が増していった大学生後半期であった。

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